親日国シンガポールのホンネ。90%以上が日本好き、でも戦争は忘れない

8640

シンガポールで最も権威のある博物館、シンガポール国立博物館 (National Museum of Singapore)から、大戦期の日本に対する見方を読み解く。

日本は解放者ではない

「日本は台湾や朝鮮半島を征服し、中国を侵略。次の狙いは東南アジアだった。」

「多くの人々は日本軍の残忍性を恐れ、食べ物や他の必需品の不足に苦しんだ。」

大東亜共栄圏の理念はどうあれ、いつの時代も人々にとっての大事は日々の暮らし。日本統治下で、厳しい生活を強いられた人々は間違いなくそこにいた。その時代をシンガポールでは暗黒時代と呼ばれている。彼らは「シンガポールが独立できたのは日本のおかげ」とは考えていない。

暗く重々しい日本占領下の展示

イギリスの統治と比較して、日本による占領は長期に及んだ訳ではなかった。しかし、長いイギリス統治時代に匹敵するほどの多くの展示がなされていた。良くも悪くも、シンガポールに大きな影響をもたらした出来事だった事を暗示している。

故李光耀元首相も

「日本による統治が私を政治に道に足を向けさせた」

と回顧している。 博物館の展示は、写真のように赤く、暗く、重々しい空間だった。この統治時代が暗黒時代と呼ばれていることを空間全体で表現している。以下、実際の日本に関連する大東亜戦争中の展示内容を紹介する。

japan

天井のタイヤはマレー半島の南下に日本軍が使用した自転車を表現。通称、銀輪部隊。鬱蒼と生い茂るマレー半島のジャングルの厳しい行程を南下し、イギリス軍の背後を突いた。海路から来ると想定していたイギリス軍の装備は役に立たず、わずかな日数で降伏に追い込まれた。

Syonan

1942年2月15日、シンガポールは新しい宗主国を迎えた。それに伴い、昭南島と改名された。”南の光”という意味だ。その結果シンガポールでの生活は劇的に変化した。多くの人々は日本の残忍性を恐れ、食べ物や他の必需品の不足に苦しんだ。連合国軍の兵士は、戦争捕虜として抑留された。

why

日本はなぜマレーシアとシンガポールを侵略したのか。 20世紀の変わり目に、日本は台湾や朝鮮半島を征服することで勢力を伸ばした。1930年には中国を侵略し、そこに足場を作った。日本の次の標的は東南アジアだった。

1941年に、アメリカ、イギリス、オランダは日本の伸張の意志を削ぐことを期待し、経済制裁を行った。しかし日本はむしろ、東南アジア進出の計画を推し進めた。日本は戦争や国内経済に必要な石油、ゴムなどを供給するために、大東亜共栄圏の構築を始めた。日本のプロパガンダでは、これらの行為をアジアの人々を解放するための手段としていた。

life

日本はシンガポールを昭南島へと改名した。「南の光」と言う意味だった。新しい支配権力を反映し、全てが変化した。日本の暦が適用され、日本のお祭りも執り行われた。

日の出を表す旗はユニオンジャックにとって代わり、生徒は英語の代わりに日本語を学んだ。通貨はイギリスドルに代わり、バナナノートとして知られる日本通貨が使用された。

model

 

sookching

このジオラマは、日本軍が中国人の男性を選別している様子を表している。1942年中国人コミュニティーの中の反日分子を排除するために、華僑の粛清を行った。

insecurity

昭南島での生活は、不安に包まれていた。シンガポールを占領したすぐ後、日本はシンガポールに住む中国人を集めSookChingと呼ばれる選別を行った。そこで反日分子とされた男性は処刑された。残忍な方法で拷問される例もあった。

remember

people

1945年に日本によるシンガポールの占領は終わりを迎える。その年の8月に、連合国の手で広島と長崎に原子爆弾が落とされたことで、日本は連合国に降伏したのだった。戦争の後、民衆の間には日本軍の行った非常に残酷な仕打ちに対する怒りが渦巻いていた。 日本は戦争裁判にかけられ、中国人コミュニティーは日本に賠償を要求した。

memorial

1966年、日本政府は5000万ドルを賠償金として支払うことに合意。その一部は、ビーチロードに戦争記念碑を建てることに使われた。

日本は許された

以上のように、シンガポールは日本による占領をネガティブに捉えている。しかし感情的に批判しているわけではない。「かつて起こった史実の一つ」として日本統治時代を捉えている。事実、占領から数十年の時を経た今では、90%以上のシンガポール人が日本に対して好印象を抱いている。

シンガポールはあの時代を「forgive but never forget」というスタンスで見ている。

「過去がどんなに痛ましいものであったとしても、過去の経験にとらわれることなく、今に生き未来に備えなければならない。」「日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。今日の式典で私が責務を果たすにあたって、この希望の中にいる。」
“However painful the past, we have to live and plan for the future, without being hobbled by past experiences”. He added, “dedicating the ground to the memory of all races and religion who died in Japanese-occupied Singapore, was part of the process of making the past less unbearable. We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today’s ceremony.”

ソース:シンガポール国立図書館

日本は許されたのだ。シンガポールは、イギリス軍を追い払い日本が統治した事まで含めて親日なのではない。旅をする際は、そのことを忘れないでおきたい。

===
東南アジアの現地の人と深く関わりたいという方、お気軽にご相談ください。東南アジアでの事業立ち上げサマーキャンプや東南アジアインターンプログラムを開催しています。

プログラムの詳細について、もっと知りたいというかたはこちらのAWAY COLLEGEの公式ウェブサイトをチェック