【東南アジア留学記】バンコクで鬱になり田舎の村の寺で療養した話#4 たった一人の外国人の村人になった

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◇湯浅 陽代:京女。幼少時、ユダヤ人アフリカ民族楽器演奏者に弟子入り。アフリカの民族楽器はほぼ演奏可能。ガーナのダンスも習得済み。小中学校時代、イラン人とブラジル人より英語を学ぶ。大学入学後は、インドの民族衣装サリーを纏って通学するが、半年間全く友達ができず困る。現在タイ留学中。
◇短期集中連載『バンコクで鬱になり田舎の村の寺で療養した話』
現在タイ滞在5ヶ月目に入りましたが、実はこの期間のうちに鬱になりました。今回はどのように微笑みの国タイで沈み、そこから回復していったのかを書きます。

たった一人の外国人の村人になった

バスターミナルで一人しばらく待っていると、ガタガタの歯並びの中肉中背の中年男性がやって来た。あのイッタさんだった。彼は私を彼の友人が運転するトヨタのジープに乗せた。どんどん山道に入っていく。20分程走ったところで寺に到着した。車から降りると、修行僧が真っ暗闇の中10人ほどずらっと並んで立ち、爛々と光る目でこっちを見ていた。

とりあえず彼が寺に住んでいることは嘘ではなかったし、Wifiもバンコク市内のどこよりも速く安定していたので、万が一の時の連絡手段はあると思い、ほっとした。

村の運動会にいきなり参加する

次の日は朝7時から寺の前の小学校で行われている村対抗の運動会に参加した。途中ゲリラ豪雨が来ようが、それで何人怪我人が出ようが試合は続行され、応援席も荒れに荒れた。そんな年に一度の、もはや狂気の沙汰の大イベントが私の初めての村の思い出である。

イッタさんは私を応援席に連れて行き、村人たちに紹介した。すると皆笑顔で迎えてくれた。私の知っているタイ語は、たかが知れているので会話は続かない。それでも、村人たちは会話に入れてくれ、常に気遣いの言葉をかけてくれた。私は良くしてもらったお礼に、苦しむニワトリのような声を出して自分の村を精一杯応援した。

夕方には運動会は終了し、その後盛大な飲み会が始まった。お酒やご馳走が並んだ、と言っても鶏の脚ばかりを煮込んだ料理や何だか訳の分からない肉ばかりが置かれテーブルは茶色一色、ビジュアルはかなり地味だったが。アルコール度数100%の密造酒を飲んでみると口腔内が焼け死んだ。DJブースも設置されていて、なかのイケイケDJがおばちゃんを踊り狂わせる。私も全力のアフリカンダンスを披露するとおばちゃんは「仲間だ」と言ってウイスキーの一気飲みを強要した。何度か一気飲み大会に付き合ったが限界がきたのでテーブル席に戻って休むことにした。

テーブルに戻ると、私以上に重度な酔っ払いで溢れ、次々私に絡んできた。どう対応すべきか見当がつかなかったが、他のタイ人と変わらない態度で接してくれることの嬉しさの方が大きかった。流石に、同い年のタイ人男性の夜のお誘いは真顔でお断りしたが。あなた、さっき彼女とテレビ電話してましたでしょ。

帰宅後、私はベッドの中で妙な気持ちでいた。バンコクでは、外国人である私は金の対象になるかよそ者扱いされるかのどちらかだった。なのに、ここの人たちはまだ会って半日に満たなくても、お互いの言葉が9割通じなくとも、謎の外国人である私を一人の人間、仲間として受け入れてくれている。何故、何故こんなにも良くしてくれるの。

満たされた気持ちになったところで、さあ寝ようかと寝返りを打ったら急に悪い酔いが回ってきて、その後一晩中吐いた。脱水症状まで起こしかけ、本気で死ぬかと思った。けれど、初日からバンコクでは体験したことのない出来事しか起こらないことに、嘔吐の最中でさえわくわくが止まらなかった。


バンコクで鬱になり田舎の村の寺で療養した話

Part1: ここでも普通になれない

Part2: 鬱、入りまーす

Part3:救世主、怪しいおっさん現る

Part5: 嫌々ボランティア始めたら目覚めた

Part6:バンコク帰還と判明したおっさんの正体