【東南アジア留学記】バンコクで鬱になり田舎の村の寺で療養した話#2 鬱、入りまーす

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◇湯浅 陽代:京女。幼少時、ユダヤ人アフリカ民族楽器演奏者に弟子入り。アフリカの民族楽器はほぼ演奏可能。ガーナのダンスも習得済み。小中学校時代、イラン人とブラジル人より英語を学ぶ。大学入学後は、インドの民族衣装サリーを纏って通学するが、半年間全く友達ができず困る。現在タイ留学中。
◇短期集中連載『バンコクで鬱になり田舎の村の寺で療養した話』
現在タイ滞在5ヶ月目に入りましたが、実はこの期間のうちに鬱になりました。今回はどのように微笑みの国タイで沈み、そこから回復していったのかを書きます。

鬱、入りまーす

フェードアウトしたからには、これからは全ての交渉、情報収集を一人でやっていかなければなない。すると、パート1の最後の段落で述べたように、タイではタイ語ができないと話にならないので語学学校に通い始めた。タイに来て1ヶ月が過ぎたころの話である。

そしてその1ヶ月後には日常生活には困らない程度のタイ語を話せるようになり、少し自信がついた。

それに、あるゲイの先生がいたことが私にとっての一番の救いであった。

タイ人の基本的性格は京都人にそっくりである。いつもニコニコして表面上は穏やかだが腹の中では何を考えているか分からない。言うことと考えていることが違うのが常である。同調圧力も非常に強い。私は京都人であるが、ずっとそれが嫌で仕方なかったのに、まさかそれがタイで完璧に再現されるとは思ってもみなかった。

そんな中、ゲイの先生は我が道を行っていた。

タイでは大声で話す、笑う、騒ぐが日本以上にはばかられる。爆音話者の私には生きにくい国である。そんな中で、私以上の声量で応戦し、はっきりものを言う彼(彼女?)といると無条件に受け入れてもらっている気がして嬉しかった。

それに、人と違うことを素直に受け止め自信を持って独自路線を行く彼と接するうち、やはり本来の「人と違う私」でいることの誇りを取り戻せた。

これ、鬱だわ

しかし3ヶ月目になると、あれほど心を燃やしていたタイ語の勉強さえ疑問の対象になった。

タイ語をいくら勉強しようが、現在自分がまともにタイ語で話をできる相手は語学学校の先生、もしくは屋台のおっちゃんおばちゃんだけだ。

そもそも、タイ語を勉強しようと思ったのも、大学に居るだけでは全く掴めないこの国の本当の姿を、自分自身が現地に溶け込むことで見られるかも、と期待したからである。なのに、バンコクで今のまま普通に過ごしている限りは、タイ人とはお金が絡んだ前提の、しかも非常に限られた関係しか築けない、と絶望した。

当時、私がタイ語を使用できる機会は2つしかなかった。1つ目は買い物をする時、2つ目はタクシーに乗る時。特に大学に行かなくなっていた私は、それ以外にわざわざタイ人と喋る機会もない。いくらタイ語を一生懸命勉強しても「これ下さい、いくらですか?」と「〜〜まで行って下さい」「そこの角を曲がってそこで降ろして下さい」「ちゃんとメーター付けてよ!」の4つしか本当に使わない。

ついに、全ての人から距離を感じ居場所を失くしてしまった。やっと見つけた「タイ語を勉強する」という目的も霞んでしまい、自分が今生きている意味を見失った。今から振り返れば、日本語を勉強しているタイ人のコミュニティに入ってみるとか、タイ語を話す機会は自分で探せばよかった。しかし、その時は様々な絶望が重なってそういう前向きな思考ができなかった。大学にも行かず、人間関係もうまくできず、かといって今すべきことも探し出せない。これからのことを考えられなくなり、這い上がり方も分からなくなってしまった。ずっと一人でいたから、最早自分は必要無い存在なのかとさえ思うようになってしまった。

一日中暗い部屋に何もせずいて、何日も過ぎた。ベッドから起き上がれず、水を飲んで横たわるだけの状態が2週間と少し続いた。冒頭で述べた通り、完全なる沈没状態に成り下がったのだ。


バンコクで鬱になり田舎の村の寺で療養した話

Part1: ここでも普通になれない

Part3:救世主、怪しいおっさん現る

Part4:たった一人の外国人の村人になった

Part5: 嫌々ボランティア始めたら目覚めた

Part6:バンコク帰還と判明したおっさんの正体