【海外インターン体験記】5社のインターンを経て、僕がAWAYに居続ける理由(前編)

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◇常井裕輝:webコンサル、地域活性NPO、子育て支援、カメラ輸出、教育事業、メディアの立ち上げなどを経験し、現在文部科学省と産業界の協働プロジェクト「トビタテ留学JAPAN」を利用して東南アジアに拠点を移した半ノマドワーカー。水戸第一高等学校卒業。上智大学法学部3年次休学中。
2015年4月からマレーシアに住んでいる常井です。トビタテ留学JAPANから支援を受け、マレーシアにてUNLOCK DESIGNというスタートアップ企業でインターンをしています。昔はピアノや空手、テニスをしていました。上京後はサークル、アルバイト、4社での長期インターン、学生団体、政治団体、など大学ですべきことリストを潰していきました。現在は休学中です。

 

私は世界平和に法律の面から貢献したいと考えて大学に入りました。ところが、上京した瞬間に「なんとなくかっこいいから弁護士を目指したんじゃないのか?」 と考えるようになり、動機がぐらつきます。そして目標としていた弁護士を目指すことをやめました。頑張って入った大学なのに、入学した直後に目標を見失いました。

大学は勉強以外の「何か」を身につけためにある

欧米の大学では大学卒業後にも課外活動を通して世の中の仕組みを学べる空気があります。しかし日本には卒業したらすぐに新卒一括採用が待ち構えています。日本の大学で成績が重視されないのはそのためなのかもしれません。人生のモラトリアムと言われる大学4年間は、勉強以外の「何か」を身につけるためにあるのだなと捉えました。

ならば、知らない世界にできるだけ触れようと決めました。都会の生活に憧れを持っていた私は、まずは大学生らしく遊ぼう、と1年生の前半では思いつく限りのことをしました。

サークルの掛け持ちに飲食店と家庭教師のアルバイトなど、大学生のほとんどがするであろうリストを作り端から潰していきました。1年生の後半からは政治団体に関わったり、自分で学生団体を立ち上げたり、アイドルパフォーマンス団体の運営に関わってみたり、分野を問わず多くの世界に触れました。こんな感じでしばらく漂流しました。その過程で色んな方とお会いして気づいたことは、人生とは漂流し続けるものなのだろうということです。

5社で経験した長期有給インターン

1年生の冬から、今度は誘われるままに、さまざまなインターンを経験しました。アルバイトより心理的なハードルが高いので緊張感を持って臨めて良いかなと。

人生が漂流し続けるものなら、いつでもどこかに上陸できるだけの積極性だったりマインドセットを身につけようと思いました。なんとなくインターンってかっこよかったし、社会人の中で揉まれた方が成長するだろうとも考えました。あと、実践は知識に勝ると。

最初のインターン先では中古カメラの販売事業に関わりました。商品の清掃、撮影、出品、発送、マニュアル作成、パートさんの指導など、なんでもやりました。期間は4ヶ月ほどでした。

次は、irootsでスカウトを受けたウエブ・マーケティングのコンサルティング会社に入ります。サイトやキーワードの分析、提案資料作成などを行いました。1年間やりました。

それから、鴻鵠塾の四国での地域活性化プロジェクト「四国かすがいプロジェクト」に参加します。ものすごく苦労した半年のプロジェクトでした。他に、スーパー優秀な幹部や学生インターンが集まっている子育て支援アプリを提供している会社や、今所属しているUNLOCK DESIGNを含め5社に渡ります。(一ヶ月未満のインターンはカウントしていません)

自分の知らない世界を、憧れを潰したい。
と、そんな思いでいろいろな業種を体験しました。

当時も今も、「すげぇ」と感じている先輩が3人いるんですが、彼らに追いつく、抜かすためには何もかもが足りないと大学1年の冬から感じていました。人間性も能力も何もかも。それがインターンを始める原動力にもなったのですが、仕事をする中でもこのまま4年で卒業したらあの人たちは越えられないと感じました。じゃ休学して自分が責任を持ってプロジェクトをやろうと2年生の4月に決めました。大学が欧米志向ということも関係し、皆が先進国に行くので、私はアジアで何かやってやろうと決めました。

そんな折、偶然、AWAYに出会いました。
ここに参加した理由は、AWAYとの出会いが強烈だったからです。

アジア行っちゃいなよ、と怪しいおっさんに言われた事件

インターンをする一方で、大学1年の1月から、四谷にある起業家が集まるシェアカフェに出入りしていました。5月か6月のとある金曜日、そのカフェに団体の後輩とふらっと入りました。そこで当時の私には理解不能な話(マグネシウムの売買や金融の話)をしていた変な人たちに混じって、AWAYを運営するUNLOCK DESIGNの小川修平さん(当時はLincorn International勤務)がいました。

「アジア行きたいっす」と話してたら「行っちゃいなよ。大学の友人がマレーシアで会社やってるからいけば?」と小川さんに言われます。名刺をいただいたら投資銀行と書いてあります。「やばい。ヤクザだ……」と感じました。

同時に、「どこだよマレーシアまじで」と思いました。エビ? 石油? ゴム? 香辛料?あ、オランウータン。 「ていうか行かねーし」と思いつつ話を聞きます。当時アジアといったら、インドネシアかフィリピンのイメージしかありませんでした。話しているうちに、「今度日本側の代表(原田さん)」を紹介するよと言ってくれたので、せっかくなので会うことにしました。

後輩を連れて入ったOBの経営する面白いカフェで、怪しいおっさんにマレーシア行きなよと言われた事件です。

その1、2週間後、赤坂の蕎麦屋で小川さんと一緒に、原田甲子郎さんと会います。「来年一年間、休学してアジア行きます」「将来起業します。投資家になります」みたいな話をしました。原田さんは「とりあえずきちゃいなよ」か「パーティー、パーティー」とばかり言っていた記憶があります。あまり記憶がないのは、酔いすぎて吐いたからです。

ずいぶん怪しい人たちだと感じました。彼らはアメリカの大学を出ていることもあり、私にとっては異質だったのかもしれません。ちなみにこのときはまだ、学生対象の詐欺だと思って聞いてました。そして、 ここで初めて「AWAY」というサービスを紹介されます。「強いグローバル人材」を育成するプログラムとのことでした。グローバル人材という言葉が好きではない私は、えらい抽象的な言葉が登場したなぁと聞き流していました。とはいえ、怪しい物が好きな私はその空気を魅力に感じ始めていたことも事実です。

家に帰って一応サイトをチェックしました。2014年当時、AWAYの運営会社UNLOCK DESIGNの公式サイトはありませんでした。妙な会社ブログしかなく怪しさマックス。AWAYの紹介サイトに載ってる原田さんと山口さんの自己紹介も怪しい。てかまず顔からして怪しい。ただ、voiceというところに参加者の体験談があり、「あ、ま、一応やってるんだふーん」と完全な詐欺ではないなとわかりました。

AWAYは「有料」インターンということで、おそらくインターンに名を借りた研修プログラムなんだろうなと捉えました。お金ないのに有料インターン。くっそ嫌でした。いや、意味わからないし、むしろ給料くれよと。

一方で、当時のAWAYのコピーが「アジアでゼロイチ」。

海外インターンはほかにもありました。ただ、その中でスタートアップに焦点を当てているものはありませんでした。それに、どこもAWAYに負けじ劣らずの怪しさを放っていました。私は自分で事業を立ち上げる予定でしたので、単純な業務をするインターンよりはスタートアップ色のあるプログラムがいいなとも感じました。

国がマレーシアってのものなかなか面白そうだし、起業した友人の影響もあり日本でのインターン業界の潮流を感じ取っていたことから、「あ、これは近いうちに大きくなりそうだ」とも感じました。その友人はインターン斡旋を事業としていたので、この方面にアンテナが張っていたのでしょう。

特別感を求める、語れる経験を求める学生は必ず海外インターンに目を向けるはずです。しかし現状、インターン先での質を担保できている組織はありませんでした。たいていは現地の会社を紹介して終了。一方AWAYは、現地に外資コンサル出身の社長がいて最後までサポートしてくれる。この違いは、話のネタだけではなく真に成長を求める学生にはミートすると感じました。外資コンサルへの憧れもあったので、日夜ずっと話ができるのもよいポイントでした。

2週間のAWAYプログラムに参加して知った自分に足りないもの

しかし現実問題、お金がありません。
奨学金でどうにか生活している状況ですので、貯金も少しはありましたがそれも雀の涙ほどで何の足しにもなりません。実家の家計も厳しいのですが、今回ばかりはということで頼みました。「今年の夏は四国とマレーシアで活動するんだけど、その間バイトできないし参加費かかるから餓死するから助けて欲しい」と。なんで四国とマレーシアなのかと疑問に感じたとは思うのですが、祖父母が少し助けてくれました。(四国とは、上段で触れた地域活性化プロジェクトのことです)母親には、「来年一年休学して東南アジア行くから、その準備で今回マレーシア行く」と電話で伝えました。喧嘩しました。休学って何。しっかり4年で卒業しなさいと。大学は4年で卒業しないといけないとどこの誰が決めたの?4年で卒業するメリットって何かあるの?と答えました。価値観や見てる世界が違いすぎて議論になりませんでした。

そんなこんなで、2014年9月、2週間のAWAYプログラムに参加しました。たった2週間ですが、私にとって初アジアです。初途上国です。刺激たっぷりでした。地面は平ではないと知りました。タクシーはくさくてボロいと知りました。一方でご飯はもっとやすくて美味しいと知りました。仕事はもっと気楽にできるものだと知りました。マレーシアではどんな仕事でも、顧客との距離が近いです。「お客様のために」が日本だとしたら、「こいつのために」がマレーシア。いくら「お客様の為に尽くす」と言ったところで、結局お客さんと会社で線を引いてしまっている。越えられない親密さの壁があります。

社長の山口さんと一緒に動いていたので、彼からの刺激もめちゃめちゃありました。アポイントなしで国有自動車会社の工場(日本で言うトヨタ)に直接行って「打ち合わせがある」とかなんとか言ってやりとりして、本社の場所と担当者の名前もらって行っちゃって実際に打ち合わせしちゃうのを真横で見てました。夜にはキレッキレのダンスを目の当たりにしました。「なんなのこの人」と感じました。なんでもできるじゃないかと。

AWAYの実際の活動としては、和本会というNPOの立ち上げを行いました。和本会とは、在マレーシア日本人によって寄付してもらった和書を一冊150円で販売する「古本市」を開催する団体です。マレーシアに住む日本人のコミュニティー形成と、日本とマレーシアをつなぐ奨学金の基金をつくることを目的としています。

具体的な業務内容は、和本会への協力を仰ぐための経営者へのプレゼンテーションや、webサイトのコンテンツ作成です。クアラルンプールの紀伊国屋の前で客にインタビューもしました。日本でもナンパしたことなかったので緊張しました。

和本会の他には、マレーシア最大の旅行博「MATTA FAIR」にて、マレーシア人の日本に対する印象のヒアリングや、「プロトン」というマレーシア最大の自動車メーカーに対する営業への同行などを経験しました。新規サービスの立ち上げからマーケットリサーチ、営業など幅広く業務に携わった2週間でした。

一般的に、社員の下請けがインターンだと思うのですが、ここは社員がいないので、普通に仕事をぶん投げられます。AWAYはそもそもが教育プログラムなので、他のよくある雑務インターンとは一線を画します。

今回のAWAYへの参加は、私にとって、半年後から始まる一年間の活動の視察という位置付けでした。結果、自分の穴が大量に見つかりました。語学、コミュ力、度胸、自信、などなど。
新しいものを生み出すのは簡単ではないということも知りました。完全な新しいものってそう簡単に作れないですよね。また、起業すると言っておきながらビジネスって何?みたいなそもそものところでも、自分は何もわかっちゃいないと気がつかされました。

この二週間が大きな転機になり、文科省の奨学金「トビタテ留学JAPAN」を利用し、アジアに舞い戻ってくることを決めました。そしていまに至るまで今度は事業を作る側としてAWAYに関わり続けています。続きは後編で。

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AWAY Collegeのプログラム紹介

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AWAY Collegeでは元リクルート米国法人社長監修のもと、マレーシアでのインターンやビジネスプログラムを運営しております。

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