【海外インターン体験記】同僚の80%はベトナム人、そんな環境で僕が大変身した理由 [前篇]


海外で働きたいという、浅はかなイメージ

このまま就職活動を進めていいのだろうか。

そう思っていた大学3年生、2014年の7月。

その不安から目を背けられなくなった、一つの出来事があった。

前編1

名古屋市内の企業にインターンシップにエントリーしようとしたところ、計2000字くらいのエントリーシートを書くことになり、そこで中身のない綺麗事のような文章しか書けなかった。

 

「AIESECという団体で海外インターンシップの運営経験を通して、海外の人に影響を与えたいと思うようになり、その中で御社の○○という事業内容に興味を持ったため、志望しました」という。

海外で現地の人とろくに話したこともなく、ただ海外で仕事が出来ればかっこいいだろうなという、浅はかなイメージ。そして、AIESECの活動を除くと何も語れることはない過去の経験。そんな中で、アドバイザーからの数回突っ込まれただけで、何も答えられなくなっていた。

 

「就職して数年後に海外で働いて、そのときに初めて自分の言語やスキル、価値観など足りないものに気づいても遅い。一度現場で修羅場を潜ってみないと、いくらオンライン上の情報を通して知識を得たところで、≪海外で働くイメージ≫は湧かないだろう」と思い、3年生を終えた後に休学して、海外インターンシップという選択肢を決断した。

不甲斐ない自分を変えたい! とインターンシップを選ぶ

単位を取るというプレッシャーを除くと、特に誰かから成果を求められる訳ではない留学。時間さえあれば、いつでも気負わずに旅をできるバックパッカー。この2つも一度は検討してみた。

ただ、不甲斐ない自分を本気で変えるためには、楽な道を選べる環境ではなく、「組織の為にやらないといけないこと」「誰かのためにやるべきこと」から避けて通れない環境が一番適切だと思った。

 

これはAIESECで、中国人とパナマ人が名古屋でインターンシップをする際の責任者として、一番近くで彼らを支えていた時に強く実感したことであった。ここで楽な道を選ぶと、周りに迷惑をかけてしまう。それくらい追い込まれた時こそ、価値観が変わったり、何か小さいことでも出来るようになるというきっかけにもなると。

 

インターン先として最初に考えてみたのが中国。当時から付き合い始めた彼女が中国人で、バイトの同僚ともたまに中国語で話すチャンスがあったので、現地でもっと会話力を向上させたいという思いからだった。

ただ、どんなに中国のインターン先を探してみても、「将来これをしてみたい」というような実感が湧かなかった。日本酒の販路拡大、マーケティングというインターンにも興味はあったが、第一に自身が全然飲めない。それでどうやって酒の魅力を伝えるんだ。これだけは体質上すぐに変えられるものではないので、結局面接へ進む前に断念した。

やりがいを感じられそうな仕事環境

どんな仕事であれば、何となくでも’’やってみたい’’と思うのだろうか。

四苦八苦した結果、AIESECの時も活動意義の原点であった「人のキャリアに携わりたい。無償でも誰かを支えていると実感できるときが、一番のやりがいになる」という思いを重視して、人材業界を中心に見ていくことにした。

 

AIESECで活動していたころ、2か月間のインターンシップのために私が受入担当者として名古屋へ呼んだ、このパナマ人。そのときの縁が実を結んで、日本人と結婚し、現在東京で働いている。そんな「他人の’’転機’’に再び携わりたい」と意識する度に、人材業界が第一志望という思いは強まっていった。

前編2

そして発見したのが、ベトナムで急成長中の人材ベンチャー企業。まず一度社員の方に色々聞いてみたいと思って応募したところ、いきなり社長と面接することになり、

「来年の4月から休学するんだね。じゃあとりあえず半年空けといて」

と言われて、あっという間に決まってしまった、2014年12月。

 

ほかの選択肢も見てから決めようと思っていたが、「2020年にASEANでトップの日系人材サービス会社を目指す」とビジョンを語る社長には、今まで自分が働いてきたどの会社のトップとも異なる勢いがあった。ベトナムで創業されたという未知の世界。面接では終始圧倒されていたが、「自分が何をできるか分からないけど、海外×人材×ベンチャーって将来性があって面白そう!」という直感から、その場でここにしようと決心した。

罪悪感と覚悟

2015年に入る直前、広島の祖父が倒れたという連絡があった。祖父が80歳を超えたころから、いつ何があってもおかしくはないと私も覚悟していたはずだった。しかし、病院へ見舞いに行ったときに、直孫の私の名前すら覚えていない祖父。その上、退院できる見込みは低いという医師の見解を聞いたときに、こんなタイミングで半年以上海外に行っていいのかという申し訳なさと罪悪感で茫然自失となっていた。

ただ、今更「就職活動を再開する」というスイッチに切り替えられるわけがなかった。ベトナムでインターンするんだと決まったことを、今更自己都合で断るわけにはいかないし、そもそも自分の頭の中でも整理がついていなかった。

 

一方、ベトナムでのインターン先からは滞在先、生活手当について連絡があった。ただ、私がどんな仕事を担当するのか全く決まってないらしく、全く何をするのかイメージできないまま渡航の日を迎えた。

前編3

「こんなタイミングで海外へ行ってしまって本当に申し訳ない。だからこそ、両親や友人に顔向けできるようになるまで絶対に帰れない」

4月3日の渡航日、目標すら定められなかった私が心に決めていた唯一のことだった。

中編に続く…

◇永田篤史: AWAY COLLEGE 第8期生。愛知県育ちの三つ子。とにかく三人一纏めにされるのが嫌いで、小学校卒業前から歴史、連鶴、書道など可愛げのない趣味に没頭。大学では経営を専攻する傍ら、パナマ人と中国人が名古屋でインターンシップをする際の受入責任者として奔走。その後、自身もベトナムとカンボジアで海外インターンシップを経験。周りに日本人ゼロという中で、ローカルの人々と中国の辺境やベトナムの軽井沢など気ままに旅をする。2015年10月から、マレーシアで新規事業の立ち上げを担当。

 

AWAY Collegeのプログラム紹介

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AWAY Collegeでは元リクルート米国法人社長監修のもと、マレーシアでのインターンやビジネスプログラムを運営しております。

プログラムの中では、現地の消費者へのヒアリングやリサーチ、ビジネスミーティングなど、新興国のビジネスを経験いただくことになります。お題は現地向けサービスの考案ですが、その過程で自分自身が何をやりたいのか、何が強み・弱みなのかを深く考えることになります。

この悩みをメンター陣とともに考え抜く体験は、今後就職活動を迎えるにあたって、社会人生活を始めるにあたって大きな財産です。

説明会も随時行っておりますので、お気軽にお問合せください。

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